麻布大学生・山くじら実習の源流

写真1

雑草を食べているヒツジ(サフォーク種)の群れ。今からさかのぼること19年前(2004年)頃の町内の耕作放棄地で雑草を食べている様子です。
当時は麻布大学と美郷町は正式な協定や同大学フィールドワークセンターがない時代。
現在、おおち山くじら研究所顧問・麻布大学名誉教授 田中智夫先生(当時、麻布大学獣医学部教授)が学生さんや、おおち山くじら研究所長・同大教授 江口祐輔先生(当時。麻布大学獣医学部講師)と一緒に麻布大学院生の研究のため10数頭のヒツジを神奈川県の大学から美郷町(当時は邑智町)に移送して2年間、試験研究した当時の写真です。

写真2

夏の炎天下で学生さんは研究論文の作成のために空き家に滞在して田舎暮らしをしながらずっと草地のヒツジの行動や除草の様子を観察する作業をしていました。

写真3

田中先生の研究室の多くの後輩もはるばる麻布大学から美郷町に来て、ヒツジを飼育小屋から研究試験地に連れて行ったり、ヒツジを飼育するなど研究室の先輩の研究の手伝いをするため、学生さんが入れ替わり滞在していました。

写真4

麻布大学生さんの今に至る研究や実習の起源はヒツジの放牧研究からさらにさかのぼること平成13年(2001年)。麻布大学の学生さんが単身、ホームステイや空き家で滞在して卒業論文のためにサル防護ネット、通称“猿楽君(えんらくくん)”を使ったサル対策の研究からはじまります。当時は自動式カメラが開発されておらず、自転車で移動しながら日中は時間が来たらフイルムを変える作業をして過ごし、夜はフィルムテープを回してサルが写っているか確認作業をするなど終日コツコツ研究をする姿に地域の人からも孫のように親しまれ、可愛がられていました。
このほか、電気柵やワイヤーメッシュ柵の研究、イノシシ捕獲檻の捕獲効率の研究など、これまでたくさんの麻布大学の学生さんが美郷町に滞在して巣立っていきました。 さて、の夏滞在する2人の学生の手によって役場庁舎前の掲揚台ポールに高々と掲揚された母校・麻布大学の校旗。
校旗が掲揚される過程には、多くの麻布大学生の美郷町内での人生のドラマの賜物といえます。
学生のみなさんとは、時代はかわっても、昔と変わらない“普段着の田舎暮らし”や“草の根交流”で接したいものです。
(全写真提供:麻布大学教授・おおち山くじら研究所長 江口祐輔先生) 

写真5

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美郷バレー構想

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